横浜地方裁判所 昭和39年(行ウ)10号 判決 1969年11月25日
原告 横浜勤労者音楽協議会
被告 横浜中税務署長
主文
原告の請求はいずれもこれを棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者双方の求める裁判)
一、原告の求める裁判
1、被告が原告に対し(一)昭和三八年八月二六日付で、昭和三七年一一月から昭和三八年四月までの入場税に関し、別紙一記載のとおり、入場税合計一五二、四五〇円および入場税無申告加算税合計一五、一〇〇円としてなした各課税処分(以下本件第一課税処分という。)並びに(二)昭和三八年八月二六日付で、同年一月および同年四月の入場税に関し、別紙二記載のとおり、入場税合計四六、七八〇円および入場税無申告加算税合計四、六〇〇円としてなした各課税処分(以下本件第二課税処分という。)はいずれも無効であることを確認する。
2、被告が原告に対し(一)昭和三八年四月二二日付で、別紙三記載のとおり、昭和三七年四月から同年一〇月までの入場税に関し、入場税額合計四八二、六四〇円としてなした課税処分(以下本件第三課税処分という。)および(二)昭和三八年八月二六日付で、別紙四記載のとおり、昭和三七年四月から同年一〇月までの入場税に関し、入場税無申告加算税合計四七、九〇〇円としてなした課税処分(以下本件第四課税処分という。)はいずれもこれを取消す。
3、訴訟費用は被告の負担とする。
二、被告の求める裁判
主文と同旨。
(当事者双方の主張)
第一、原告の主張
一、原告は横浜市およびその周辺の勤労者の音楽愛好者をもつて組織する団体であつて、会員の自主的な企画運営によりよい音楽を安く聞く一切の活動を行い、わが国のすぐれた音楽遺産の継承とその普及発展をはかるとともに世界の音楽文化に学び、会員の人間的成長と社会の進歩に役立つ音楽文化を創造育成することを目的とするものである。原告には規約があり、これにより最高決議機関、代表者その他の機関の組織および運営の方法、財産の管理等が確定している。原告は右目的達成のため、定期的な音楽会の開催(いわゆる例会)その他の活動をしているが、法人格なく、民事訴訟法第四六条に規定する「法人に非ざる社団にして代表者の定あるもの」、換言すれば、いわゆる「権利能力なき社団」に該当する。
二、被告は原告に対し、原告の右例会が入場税法第二条第一項にいわゆる「催物」に該当し、原告の会員の納入する会費が入場料金に該当するとして、本件第一ないし第四の各課税処分をなした。
三、しかしながら、原告に対する右入場税ないし入場税無申告加算税の課税処分は次のような違法があり、したがつて、本件第一、第二各課税処分は無効であり、本件第三、第四各課税処分は取消されるべきである。
(一) 原告は法律上の人格なく、租税義務の主体となり得ない。
前述のように、原告はいわゆる権利能力なき社団であるが、私法上権利能力なき社団に関する規定は存在せず、権利能力なき社団に権利能力は認められていない。私法上権利能力がないものは、一般に法律上の権利義務能力者ではなく、勿論公法上においても権利義務の主体となることはできない。したがつて、原告は納税義務の主体となり得ず、これに対してなされた課税処分は当然無効である。
被告は「権利能力なき社団は社団法人とその実体を同じくし、私法上享有し得る権利およびなし得る行為等について社団法人に関する規定を適用すべきであり、民事訴訟法上も当事者能力を認められている(同法第四六条)。」旨主張する。なるほど権利能力なき社団が社会的に実在し活動していることは事実であり、法律もこれに対しある程度の法的地位を認めるに至つている。しかし、社団法人に関する規定はすべて権利能力の存在を前提とするものであるから、権利能力なき社団に適用すべき余地はない。
民事訴訟法第四六条は、実際上の必要から便宜的に設けられた規定であり、右規定の存在をもつて権利能力なき社団が権利能力を有することの根拠とすることはできず、被告の右主張は理由がない。
(二) 仮に租税法規において、私法上権利能力がないものに租税法上の権利義務の主体たる地位を賦与することができるとしても、かかる法的地位に立つ者は財産を所有することができないのであるから、納税義務を履行することは原始的に不能であり、原告に対する課税処分はこの点においても無効である。
(三) 権利能力なき社団は入場税法第三条の「主催者」には含まれず、したがつて、原告は入場税の納税義務者ではない。
(1) 私法上はもとより公法上も法律上の義務者となり得るのは、原則として私法上の権利能力を有するものに限られており、しかも租税法上の大原則である租税法律主義は課税の限界を法律によつて明らかにすることによりその限界を越えては賦課徴収されないという意味で国民に対し財産権を保障するものであるから、租税法規においては租税主体、租税客体、課税標準等の課税要件はいささかも曖昧なところがない程に明確でなければならない(租税明確の原則)のであり、類推解釈は言うまでもなく拡張解釈も許されないから、権利能力なき社団に関する明文の規定のない入場税法においてはそのいわゆる「主催者」は私法上の権利能力者に限られ、権利能力なき社団は該当しないと解すべきである。このことは、所得税法、法人税法、相続税法において権利能力なき社団に納税義務を課するために特に明文の規定を設けていることに照し極めて明白である。
(2) さらに、権利能力なき社団が入場税法第三条の主催者に該当しないことは国税通則法の成立の経過ならびにそれに伴う入場税法の改正の経緯からも明らかである。すなわち、国税通則法の政府原案第一三条は、権利能力なき社団等は国税に関する法律の規定については法人とみなすというものであつたが、同法案は、右条項が削除され、第三条に人格なき社団等は法人とみなして、この法律の規定を適用する旨の修正された規定が設けられ、昭和三七年四月二日成立した。一方同年三月三一日成立した入場税法の一部を改正する法律により一旦は権利能力なき社団に関する明文の両罰規定を設けたが、前記国税通則法の政府原案が修正されたのに伴い国税通則法の施行等に伴う関係法令の整備等に関する法律によりさらに改正され権利能力なき社団等に関する両罰規定は削除され、旧条文に復した。これは、右両罰規定が国税通則法の政府原案第一三条を前提として改正されたものであつたために右規定の削除により死文化ないし空文化したと解されたためであり、右政府原案第一三条が、権利能力なき社団の入場税の納税義務につき、単に確認的なものではなく創設的意義を有していたことを示している。
(3) 法令上の用語として「者」は法律上の権利能力を有するものの単数又は複数を指称する場合に用いるのに対して、権利能力のない団体等が含まれる場合、又は権利能力のないものだけが問題となる場合は「もの」が用いられている。したがつて、「主催者」には権利能力なき社団は含まれないと解すべきである。
被告は、入場税法第八条に定める免税興行の主催者には通常権利能力のない社団等の団体が掲げられていることを理由に主催者には権利能力なき社団が含まれると主張するが、入場税法上の納税義務者は基本的な条項である同法第三条によつて定められ、同法第八条はそのうち一定の条件を具備する場合に免税する旨の規定に過ぎず、被告の主張は理由がない。
(四) 仮に入場税法第三条の納税義務者に権利能力なき社団が含まれるならば、かかる規定は前述のように履行の不能な義務を課するものであつて、不合理であり、憲法第三〇条、第八四条に違反し無効である。
(五) 原告の例会は入場税法第二条第一項の「催物」に該当せず、したがつて原告は同条第二項の「主催者」ではない。
(1) 入場税法第二条第二項は、「この法律に於て主催者とは………興行場等をその経営者若しくは所有者から借り受けて催物を主催する者をいう」と規定し、右にいう「催物」の意義については同条第一項に「この法律において催物とは前条各号に掲げる場所において映画………音楽………その他政令で定めるこれに類するもので、多数人に見せ、又は聞かせるものをいう」と定めている。すなわち、音楽、舞踊等を第三者である「多数人に見せ、又は聞かせる」のが催物である。しかしながら、すでに述べたように原告は権利能力がなく、原告においてはその代表者等の役員が音楽舞踊家と出演契約を結び、会場を借入れて音楽舞踊を上演し、会員のみがこれを観賞しているが、これは法律的には会員各自が協同して代理人によつて右出演契約、賃貸借契約を締結するなどして音楽等を上演し、自らこれを観賞するものであつて、原告が上演して第三者に観賞させるものではない。
(2) しかも原告においては、組織および活動の実体としても「見せ、又は聞かせる」側の者と「見たり、聞いたりする」側の者の対立はなく、会員各自が協同して音楽等を企画、準備して上演し、これを観賞するものであるから、この点からも原告の例会は第三者である「多数人に見せ、又は聞かせる」催物には該当しない。すなわち、原告においては、基本組織単位のサークル(三名以上の会員によつて構成される)において例会に対する希望、要求や労音の活動のあり方等の話合が行われてその意思が集約され、それは各サークルの所属する地域会議(サークル代表者と委員および会員をもつて構成される)を経て業務の執行を担当する運営委員会において集約される。また、例会における会場の設営や受付、演奏者の送迎等も当番サークル員によつて行われており、これらのサークル員や役員らも他の会員と同様に会費を醵出している。このように原告は、同じく権利能力なき社団であつても社団の構成員でない第三者に対し音楽等を見せたり聞かせたりするもの或いは会員は一切の活動を役員に委せ、役員が一切の運営を行い、会員は毎月会費を支払つて音楽等を専ら見せられたり聞かせられたりする場合とは本質を異にしており、その例会は入場税法にいわゆる催物には該当しない。
(六) 原告の会費は、入場税法にいわゆる「入場料金」ではなく、原告は入場料金を「領収」していない。
入場税法第二条第三項は「入場料金とは、興行場等の経営者又は主催者が、いずれの名義でするかを問わず、興行場等の入場者から領収すべきその入場の対価」をいうと規定している。しかし、原告の会員が醵出する会費は、会員たる身分の取得および存続の条件であつて、会員は例会の音楽会を観賞すると否とに拘わらず会費を醵出する義務があり、また醵出された会費は単に例会の諸費用にあてられるだけでなく、機関紙の発行その他種々のサークル活動等原告のその他の活動の為にも使用されるのであるから、会費は例会において音楽、舞踊等を観賞するための入場の対価ということはできない。被告は、原告の入会退会は自由であり、会費さえ納入すれば、これを唯一の契機として当該月の例会の座席券の交付を受けて入場でき、例会ごとのための会費があるかのように主張しているが、これは事実に反する。原告に入会するには、入会金および当該月の会費を納入してサークルの構成員となることが必要であり、会員が退会する際はサークル代表者に届出がなされる。また、会費は、原告の行う諸活動の経費の分担金であり、例会は原告すなわち会員の活動の一環にしかすぎない。
(七) 入場税法は憲法第二五条に違反する。
1、入場税法は、昭和一三年臨時軍事費の財源に充てるために国税として設けられ、終戦後は経済復興等のため一時的なものとして存続されたが、日本経済はすでに戦前の水準を遙に突破するまでに発展し、また、国が入場税に代る財源を得ることもさして困難ではなく、入場税存続の目的と必要は既に消滅している。かかる状況の下においては、映画、演劇や音楽の観賞という文化的生活に欠くことのできない行為を対象に租税を課する入場税法は憲法第二五条に違反すると言わなければならない。
(八) 仮に入場税法が憲法第二五条に違反しないとしても、原告に入場税を課することは憲法第二五条に違反する。
憲法の保障する人たるに価する生活を営むためには時に音楽等を観賞することがことに勤労者には必要であるが、営業的な音楽等の興行は極めて高価であるばかりでなく、頽廃的であつたり軍国主義的であつたりして、これによつて勤労者は文化的欲求を満足させることができない。そこで、原告は勤労者が自らの力でその組織を作り、人間生活に必要な文化的要求を満し、広く勤労者の間に健全な音楽文化を普及発展させる運動を行つているのである。これは、健康な音楽文化の育成という国家の義務をいわば代行しているものであつて、かかる原告の活動に対して国家はこれを援助すべきであるのに、反対にこれに対して入場税を課することは憲法第二五条に違反する。
四、原告は、本件第三課税処分に対して一月以内に被告に異議を申立てたが、昭和三八年八月一七日棄却されたので、更に同年九月一七日東京国税局長に対し審査請求をしたが、昭和三九年六月一五日棄却された。また、原告は、本件第四課税処分に対して一月以内に被告に異議申立をなしたが、昭和三八年一〇月二二日棄却の通知があつたので、同年一一月二二日東京国税局長に対し審査請求をしたが、昭和三九年六月一五日棄却された。
五、よつて、原告は、本件第一および第二の各課税処分の無効確認と本件第三および第四の各課税処分の取消を求める。
第二、被告の答弁および主張
一、原告の主張第一、二項および同第四項の事実は認める。
二、本件第一ないし第四課税処分には、原告主張のような違法はなく、勿論無効ではない。
(一) 原告は、権利能力なき社団である原告は権利能力を有せず、法律上の人格者とは認められていないから、公法上においても権利義務の主体にはなり得ず、したがつて、そもそも租税義務能力がなく、仮に租税法規において租税義務能力を賦与したとしても納税義務の履行は原始的に不能であると主張する。しかし以下述べるとおりその主張はいずれも失当である。
権利能力なき社団は、法人格のある社団とその実体を同じくし、その構成員とは独立に存在し、独自の社会的活動を営むもので、通説判例においてもその実体に着目して社会通念上組織的統一性を有する社会生活の単位としての法律的地位を認められている。すなわち、権利能力なき社団は、対外的には、その代表者を通じて自己の名において有効に私法上の契約を締結でき、その構成員のそれとは独立した社団自体の名誉ないし社会的信用は自然人および法人のそれとならんで法律上保護され、対内的には、社団の財産は各構成員の共有に属せず「総有」に属するなど私法上権利能力なき社団の享有し得る権利ならびになし得る行為の範囲等については社団法人に関する規定を適用すべきとされ、民事訴訟法上も当事者能力が認められている。そして、かかる権利能力なき社団については、行政法の分野においては、各種行政法規がそれぞれの目的から、社団の目的、事業内容等の実態に即応して規定している。そこで、入場税法における権利能力なき社団の地位について見るに、同法は、後に(二)において詳述するように、第三条所定の納税義務者である「主催者」には人格なき社団をも含む趣旨で規定している。すなわち原告には租税義務能力ありと解すべきである。さらに、入場税は、いわゆる間接税であつて、租税負担者と納税義務者とは異なり、納税義務者は社会生活上の活動として自ら催物を行い、入場者から入場料金を領収し得る地位にあれば足りるのであつて、私法上の権利能力を有しなくとも納税義務の履行は可能である。
(二) 原告は、権利能力なき社団である原告は入場税法第三条所定の「主催者」ではなく、したがつて入場税の納税義務者ではないと主張する。
(1) 原告の右主張の第一の論拠は、入場税法上の納税義務者は権利能力を有するものに限られるというにある。しかし、入場税は、いわゆる間接税の一種として、興行場等への入場について、その娯楽的消費支出に担税力があると認め、「入場料金」なる経済的負担に対して課せられるものであり(入場税法第一条)、納税義務者である「経営者」又は「主催者」は、入場者から右課税対象となる「入場料金」を領収するものとして規制されているのであるから、私法上の権利能力の有無にかかわらず、社会生活上現実に催物を行ない入場者から入場料金を領収する等いわゆる「催物」を主催し得る法的地位を有するものであれば足り、右「主催者」には権利能力なき社団も含まれると解すべきである。このことは、同法第八条が免税興行の主催者として別表上欄に「児童、生徒学生又は卒業生の団体」、「学校の後援団体」、「社会教育法第十条の社会教育団体」等を掲げているが、これらは通常法人格を取得するに適さない団体や一般に法人格を有していない団体であり、とくに「社会教育法第十条の社会教育関係団体」には法人格を有しない団体も含まれる旨明記されている(同法第一〇条)ことからも明らかである。原告は、所得税法、法人税法、相続税法には権利能力なき社団について明文の規定を設けているにもかかわらず、入場税法にはかかる規定がないことをその主張の根拠の一つとしているが、所得税法等に権利能力なき社団に関する明文の規定が置かれているのは次のような理由によるものであるから、右主張は理由がない。すなわち、これらの税の納税義務者は、所得税法においては個人と法人、法人税法においては法人、相続税法においては個人にそれぞれ限定されているので、右限定されたもの以外すなわち権利能力なき社団に納税義務を課するには特にその旨の規定が必要であるからである。
(2) 次に原告は、国税通則法の政府原案第一三条の修正に伴い、一旦改正された入場税法第二八条の規定が、再改正されて旧に復した経緯をもつてもう一つの論拠としている。しかし、国税通則法政府原案第一三条は、税制調査会の答申にしたがつて置かれたものであり、右答申は、租税法においては権利能力なき社団に関する納税義務とその違反行為に対する罰則の規定の有無および整備の程度が不統一であるので、納税義務については、各税法に特別の規定のない限り、これを法人とみなして各税法を適用する旨を統一的に規定する、罰則については、現行国税徴収法第一八九条の規定に準じて規定の整備を図るべきであるとしている。しかも右答申では、入場税法においては権利能力なき社団等に納税義務を負わしめる明文の規定はないが、当然納税義務を負うべきものと解されるとし、権利能力なき社団や行為者を処罰しうるか否かについては対立した解釈がなされていると述べている。したがつて、国税通則法の政府原案は、権利能力なき社団等の入場税の納税義務については、その存在することを確認したものにすぎず、その修正によつて影響を受けるのは権利能力なき社団の納税義務ではなく、罰則規定の整備と相俟つて明確にされる筈であつた処罰の問題にすぎない。
(3) さらに、原告は、入場税法にいわゆる「主催者」に権利能力なき社団が該当しない理由として、法令用語上「者」は法律上の人格を有するものを指称する場合に限り用いられると主張するが、右の用語法は必ずしも整然と統一されているものではなく、右用語法に反する例としては行政不服審査法第三七条第四項、外資に関する法律第一七条第一項、特許法第一九五条およびその別表第五号等があり、原告の右主張は理由がない。
(三) 原告は、「仮に入場税法第三条の納税義務者に権利能力なき社団が含まれるとするならば、それは履行不能の義務を課する不合理な規定であり、憲法第三〇条、第八四条に違反する。」旨主張する。しかし、すでに述べたようにその前提自体誤つており、右主張も理由がない。
(四) 原告は、原告の例会は入場税法第二条第一項の「催物」に該当せず、原告は同条第二項の「主催者」ではないと主張する。
前述したように、原告は社会的統一性ある団体として活動しており、その構成員とは独立した実在であり、原告の最高議決機関である総会の議決に従い執行機関たる運営委員会等が原告の名前と責任において適当な音楽家等と出演契約を結び、会場(入場税法第二条の興行場等に該当する。)を借入れ、各例会ごとの「会費」を納めた会員に整理券ないし日割券と称する座席券を交付し、これにより入場を許可して音楽等を観賞させているものであつて、原告の主張するように個々の会員が代表者等の代理人により右出演契約や会場の賃貸借契約を結ぶものではないことは、右各契約成立後に原告へ入会するものや脱会するものがあることからも明らかである。また、同法第二条第一項の「多数人」は不特定人に限られず、会員等の特定人であつてもよい。したがつて、原告の例会は同法第二条第一項の「催物」に該当し、この点よりしても原告は同法第三条の「主催者」である。
原告における会員が協同して音楽等を企画、立案、準備し会場の設営をするなどのいわゆる「自主的運営」は、団体運営上の特色たるに過ぎず、これがために原告が会員からの独立を失うものではなく、原告が「主催者」たることの妨げにはならない。
(五) 原告は、会員の会費は例会において音楽等を観賞するための対価すなわち入場税法にいわゆる「入場料金」ではないと主張する。しかし、当該月の例会のための会費を支払わない者は原告の会員たる資格を失い例会の座席券の交付を受けられず、入場できないが、会費(但し新規会員は入会金と一緒に)さえ納入すればこれを唯一の契機としてそれだけで当該月の例会の座席券の交付を受けて催物の観賞をすることができる。しかも会費は、例会における催物によつて異つており、会費が例会という催物についての入場に対する対価性を有することは明らかである。
(六) 原告は、入場税法は憲法第二五条に違反すると主張する。国家活動を営むに必要な財力は、これを租税として国民から徴収する必要があり、憲法も第三〇条において国民の納税義務を、第八四条において租税法律主義を規定している。入場税法は右憲法第三〇条、第八四条に基づき制定された法律であつて、もとより合憲である。原告の主張は、結局国家の租税政策の一般的当否を糾弾するにとどまり、裁判所の権限外の事項について判断を求めようとするものであつて、右主張は不適法である。
(七) 原告は、原告に入場税を課することは憲法第二五条に違反すると主張する。しかし、原告に本件第一ないし第四課税処分がなされたからといつて、その当然の結果として原告の会員らが原告の主張する映画、演劇、音楽等を観賞することができなくなり、健康で文化的な最低限度の生活を営むことができなくなるわけではないから、原告に対する入場税の賦課処分が憲法第二五条に違反するという原告の主張は理由がない。さらに、憲法第二五条は、国は国民一般に対して概括的に健康で文化的な最低限度の生活を営ましめる責務を負担し、これを国政上の任務とすべきであるという趣旨であつて、この規定により直接に個々の国民は国家に対して具体的現実的にかかる権利を有するものではないから、具体的納税義務を否定する根拠にはならない。
三、本件第三、第四課税処分の課税要件
原告は、別紙五記載のとおり、催物の上演日欄の日に上演場所欄の興行場等を借り受けて各当該催物の種類および内容欄の音楽および舞踊を上演し、原告の会員ら多数人に見せ、又は聞かせ、その入場の対価として会費(一五〇円以上)を領収したものであるが、本件第三、第四課税処分当時被告には右各会費と当該各催物への入場との間に明確な対応関係があることが未だ充分に判明していなかつたところから、いわゆる推計課税として直接その個々の催物に要した経費、例えば会場の賃借料、出演料、入場券やポスターの印刷費等の合計額を当該会場に通常入場させることができる人員数で除し、これをその催物についての一人一回の入場料金とすることとして計算し課税処分したものであり、右各催物の入場人員、、経費の総額、課税標準、入場税額、入場税無申告加算税額はそれぞれ別紙五掲記のとおりであり、右各課税処分は適法である。
(証拠関係)<省略>
理由
一、原告の主張第一、二項および第四項の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二、原告は、本件第一ないし第四課税処分は違法、無効なものであると主張するので、以下この点について判断する。
(一) 原告の主張第三項(一)の主張について
原告は、原告はいわゆる権利能力なき社団であつて私法上権利能力を有せず、法律上の人格者として認められていないのであるから、公法上においても権利義務の主体とはなり得ず、したがつて、納税義務の主体となることもできないと主張する。
しかしながら、私法上の権利能力と公法上の権利義務の主体となり得る法的地位とは常に同一というものではなく、私法上権利能力のない者に対し公法上権利義務の主体としての地位を与えることは可能であり、実定法上かかる例は原告自ら認めている民事訴訟法第四六条、国税通則法第三条以外にも数多く存在するのであるから、原告の右主張は失当である。
(二) 原告の主張第三項(二)の主張について
原告は、権利能力なき社団は財産を所有し得る能力なく、これに納税義務を課してもその履行は原始的に不能であると主張するので、この点につき考察する。
いわゆる権利能力なき社団は、団体としての組織を有し、社会関係において、統一された意思のもとにその構成員の個性を超越して活動する社会的実体であり、対外的には代表機関の行為によつて行動し、その資産および債務は構成員の総有に属し、構成員各自は社団の資産について持分権なく、社団の資産は各構成員が第三者に対し負担する債務の引当とはならないとともに社団の負担する債務については原則として各構成員は個人的責任を負わず、社団の総有財産だけがその引当となる。このように、社団の総有財産は、法的に構成員各自の財産とは明確に区別され、社団が社会的活動を営むための財産として管理処分し得ることは言うまでもない。現に法人税法、所得税法等においては、権利能力なき社団を個人または法人とみなして納税義務を課しており、多数の権利能力なき社団がこれらの納税義務を履行していることは公知の事実であり、原告の右主張は理由がない。
(三) 原告の主張第三項(三)の主張について
次に原告の権利能力なき社団は入場税法第三条の「主催者」には含まれず、したがつて原告は入場税の納税義務者ではないと主張する点につき判断する。
入場税法第二条第二項は「この法律において『主催者』とは、臨時に興行場等を設け、又は興行場等をその経営者若しくは所有者から借り受けて催物を主催するものをいう。」と定義し、同法第三条は「興行場等の経営者(当該興行場等について別に主催者がある場合を除く。以下「経営者」という。)又は主催者(以下「経営者」等と総称する。)は、興行場等への入場者から領収する入場料金について、入場税を納める義務がある。」と規定している。すでに述べたように、権利能力なき社団はその活動として右にいう興行場等の経営または催物の主催をなし得る実体と法的地位を有するものであるから、右規定の文理解釈としては「経営者」または「主催者」に権利能力なき社団も該当すると解せられるばかりでなく、同法第八条第一項は「別表の上欄に掲げる者が主催する催物が左の各号に掲げる条件に該当する場合において、第三項の規定による承認を受けたときは、当該催物が行われる場所への入場については、入場税を免除する。」と規定し、同法別表上欄において「児童、生徒、学生又は卒業生の団体」、「学校の後援団体」、「社会教育法第十条の社会教育関係団体」等明らかに法人格を有しない団体、一般に法人格を取得するのに適しない団体、通常法人格を有していない団体等を掲記しているところから、入場税法第八条は権利能力のない社団等に納税義務があることを当然の前提として規定しているものと認められる。さらに、入場税は、興行場等への入場について、その娯楽的消費支出に担税力があると認めて入場料金に対して課税するものであるから、租税負担者は入場者であり、主催者が法人であるか否かによつて取扱いを異にすることは、租税法における租税負担公平の原則に反するのみならず、興行場等への入場には原則として入場税を課すると定める入場税法第一条の法意に反することになる。以上、権利能力なき社団が入場税法第三条の納税義務者に含まれることは明らかであろう。
原告は、権利能力なき社団が入場税の納税義務者である「経営者」または「主催者」に該当しない理由として、(イ)法律上の権利義務の主体となり得るのは、原則として私法上権利能力を有するものに限られ、しかも同じ租税法の所得税法、法人税法、相続税法にはそれぞれ権利能力なき社団に対し納税義務を課する旨の明文の規定があるのに入場税法にはかかる規定がなく、右原則の例外をなす場合とは認められないこと、(ロ)入場税法に右のような明文の規定がない以上、権利能力なき社団に入場税の納税義務がないと解すべきことは、租税法律主義の内容をなす租税法規において定める課税要件はいささかでも曖昧なところがあつてはならないという租税明確の原則ならびに類推解釈および拡張解釈の禁止の原則からしても当然であること、(ハ)国会において「権利能力なき社団等は、国税に関する法律の規定の適用については、法人とみなす」旨の国税通則法政府原案第一三条が削除修正されたことに伴つて一旦改正された入場税法第二八条の改正部分が再改正によつて削除された経緯があること、(ニ)法令上の用語として「者」は法律上の人格を有するものを指称する場合に限り用いられることを挙げている。しかし、右(イ)の理由については、すでに判示したとおり、公法上権利能力なき社団にいかなる地位を賦与しているかは当該各法規の定めるところによるのであつて、結局各法規の解釈問題に帰し、権利能力なき社団が権利義務の主体となり得る旨の明文の規定がないからといつて、当該法規の規律する法律関係において権利能力なき社団が権利義務の主体にはなり得ないと解さなければならない理由はない。原告の列挙している各税法はそれぞれ特別の理由によつて権利能力なき社団について明文の規定を置いているものであつて、右各税法と対比して入場税法にかかる規定がないことをもつて原告の右主張の根拠とすることはできない。すなわち、権利能力なき社団に対し収得税を課する場合には、所得税を課するのか法人税を課するのかにつき疑義があるので、所得税法および法人税法にそれぞれ権利能力なき社団は法人とみなす旨の規定を設けているものであり、相続税法においては、納税義務者を個人に限定している(同法第一条、第一条の二)ので、権利能力なき社団に納税義務を負担させるにはその旨の規定が必要であるという理由によるものである。次に右(ロ)の理由については、租税法律主義の内容をなす課税要件は実定法のうえで明確に規定されていることが必要だという原則が、何ら合理的な法律解釈を排斥するものでないことは言うまでもなく、しかも前記(三)の冒頭において判示した入場税法第三条の納税義務者についての解釈は類推解釈でも拡張解釈でもないから、右主張も理由がない。右(ハ)の理由については、国税通則法政府原案第一三条の削除に伴い昭和三七年三月三一日成立、同年四月一日施行の入場税法の一部を改正する法律第二四条の二による入場税法「第二八条中『法人の代表者』の下に『(法人でない社団又は財団で管理人の定めがあるものの管理人を含む。)』を加え、同条に次の一項を加える。法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めがあるものについて前項の規定の適用がある場合においては、その代表者又は管理人がその訴訟行為につき当該社団又は財団を代表するほか、法人を被告人又は被疑者とする場合の刑事訴訟法に関する法律の規定を準用する。」との改正部分が同年四月二日成立の法律第六七号により削除されたが、右入場税法第二八条の規定は罰則規定であつて納税義務者を定める規定ではなく、権利能力なき社団についての罰則規定の削除が必然的にその納税義務の不存在を前提とするものであるとはいえないばかりでなく、右削除前の改正された同法第二八条は明らかに国税通則法政府原案第一三条を前提としたものではあるが、同規定の存在を欠いても、右改正第二八条の解釈として同条により権利能力なき社団に対しても処罰し得ると解せられ、かえつて、権利能力なき社団の納税義務の存在を前提とするものと解せられるから、原告の右主張は理由がない。右(ニ)の理由については必ずしも原告主張のような用語法で統一されているものではなく、右主張は採用できない。さらに、原告は、入場税法第八条は、同法第三条の定める納税義務者のうち一定の要件を具備する場合に免税する旨の規定に過ぎず、あくまで基本は同法第三条の規定であつて、これを逆に同法第八条の規定を根拠に同法第三条の納税義務者に権利能力なき社団が含まれていると解することはできない旨主張する。なるほど、同法第三条は納税義務者を規定し、同法第八条は右第三条を前提とした免税興行を規定しているものではあるが、右両規定を総合的に解釈することはむしろ当然であつて、原告の右主張は失当である。
(四) 原告の主張第三項(四)について
原告は、仮に入場税法第三条の納税義務者に権利能力なき社団が含まれるとしても、それは所有権を取得できない権利能力なき社団に履行不能の義務を課するものであつて、不合理であり、憲法第三〇条、第八四条に違反すると主張するが、前述のとおり権利能力なき社団は納税義務を履行することが不能であるという前提自体誤つており、右主張も理由がない。
(五) 原告の主張第三項(五)について
原告は、本件第一ないし第四課税処分の課税対象となつた原告の例会は入場税法第二条第一項の「催物」に該当せず、したがつて、原告は同条第二項の「主催者」ではないと主張し、その理由として、同条第一項の「催物」には、音楽等を見せ、又は聞かせる「経営者」または「主催者」と「主催者」等と対立して音楽等を見、又は聞く第三者である多数者の存在が要件であるところ、原告の例会は、会員のみが音楽等を観賞しているのであるから、法律的にも組織および活動の実体においても「主催者」と第三者である「入場者」という対立がないことを挙げる。すなわち、法律的には、権利能力なき社団である原告においては、会員各自が協同して代理人によつて音楽家等との出演契約および会場(興行場等)の賃貸借契約を締結して上演し、会員各自がこれを観賞することになるのであるから、音楽等を上演する者と対立する入場者は存在しないし、また、原告の組織および活動の実体としても、原告においては、各会員は原告の基本組織単位であるサークルにおいて例会に対する希望等を話合い、そこで集約された意思は地域会議を経て運営委員会において集約され実施に移されるのだが、右例会の企画だけではなく、例会の会場の設営、受付等も当番サークル員によつて行われているなど会員が協同して音楽等を上演し且つこれを観賞しており、音楽等を見せたり聞かせたりするものとこれを見たり聞いたりするものとの対立関係は存在しないと主張する。
しかし、前記のとおり、権利能力なき社団は、社会生活上の実体としても法律上においてもその構成員とは別個の実在であつて、権利能力なき社団の活動としての代表機関の行為は法律的にも単なる構成員の代理人としての行為とは異なるのであり、且つ、入場税法第二条第一項にいわゆる「多数人」は、不特定のものに限定されておらず、特定のものであつてもさしつかえなく、勿論主催者である権利能力なき社団の構成員であつてもよく、それ以外の「第三者」でなければならないものではない。また、右の理は、原告の組織および活動の実体が原告主張のとおりであるとしても、異ならない。よつて、原告の右主張も理由がない。
(六) 原告の主張第三項(六)について
原告は、原告の会費は会員たる身分の取得および存続の条件であつて、例会において音楽等を観賞するための入場の対価ではなく、入場税法にいわゆる「入場料金」には該当せず、したがつて、原告は「入場料金」を「領収」していないと主張する。
よつて、証拠を案ずるに、いずれも成立に争いない甲第一号証、乙第一号証の一のイないしト、同第一号証の二のイないしヌ、同第一号証の三のイないしチ、同第一号証の四のイないしル、同第一号証の五のイないしオ、同第一号証の六のイないしタ、同第一号証の七のイないしハ、同第一号証の八のイないしニ、同第一号証の九のイないしニ、同第一号証の一〇のイないしホ、同第一号証の一一のイないしヌならびに証人菅原志有次、同増田和雄の各証言および原告代表者尋問の結果によれば、原告は、一口に言えば「良い音楽を安くおおくの人に」をモツトーに例会と呼ばれている専ら会員のために毎月定期的に行われる音楽会の開催を主な活動としており、会員の活動の中心も毎月一回例会に参加して音楽を観賞するところにあること、原告の活動に要する経費は会員が毎月納める会費によつて賄われており、会員が一度でも会費の納入を怠ると当然に会員の資格を失い例会に参加できなくなること、原則的な会費の額は原告の規約により定められているが、例会で上演されるものがオペラ、オーケストラ、バレエ、海外演奏家によるもの等特に多額の経費を要し通常の会費のみでは不足する場合には、委員会の決定により通常会費にその不足分を加算した金額が当該例会に参加する会員の当月分の会費とされ、しかもかかる追加会費は毎月のように徴収されていて決して例外とは言えず、したがつて、例会で上演されるものによつて会費の額がきまる実情にあること、原告が会員から徴収した会費の五〇パーセント以上は音楽家等の出演料や会場の賃借料等例会に直接要する経費に、残りは機関紙の発行、原告の事務局員の給料や役員らの交通費、食事代等の実費弁償その他の費用にあてられており、右以外の原告の活動はほとんどその活動に参加する会員の自己負担とされていること、したがつて、会費の大部分は直接および間接に例会の経費として使用されていることが認められ、右認定を覆すにたる証拠はない。
右認定した事実によれば、原告が会員から徴収する会費の大部分は直接間接に例会の経費として使用されており、原告の各会員も主として例会に要する経費を分担する趣旨のものとして会費を支払つており、当該月の会費を支払つた会員はすべて例会に参加して音楽を観賞する権利を取得するが、会費を支払わない会員は会員たる資格を失い例会に参加することができないのであるから、全体的、継続的関係においては明らかに会員の例会において上演される音楽観賞のための入場とその納入する会費とが対価関係にあることは明らかである。しかも、実際の会費は、各会員の参加する当該例会の内容、すなわち、上演されるものがリサイタル、軽音楽等余り経費を要しないものであるかオペラ、オーケストラ、バレエ、海外演奏家等特に多くの経費を要するものであるかによつて個々に定められ、異なるのであるから、会員各自の会費はその選択した例会における音楽会への入場の対価であり、入場料金と認めることができる。会費の納入が会員たる身分の取得および存続の条件であつても何ら右のように解する妨げとはならない。したがつて、原告の会費の徴収は「入場料金」の「領収」に該当することは明らかであり、原告の右主張も理由がない。
(七) 原告の主張第三項(七)の主張について
原告は、音楽や演劇等の観賞という文化的生活に欠くことのできない行為を対象に租税を課する入場税法は憲法第二五条に違反すると主張する。
しかしながら、そもそも租税法は、国家の活動(生存権を実質的に保障すべき責務の遂行も含まれる。)に必要な財源調達のため、国民の担税力に応じ、公平に課税を行うこと、言いかえれば、国民が国家活動の財源の負担を公平に分担することを目的としており、かかる目的に適うものとして国会において審議成立したものであつて、入場税法においては、興行場等への入場についてその娯楽的消費支出に対して担税力があるものとして入場料金の一〇パーセントの入場税を課そうとするものであり、且つ、入場税の賦課により納税義務者ないし租税負担者が当然に憲法第二五条第一項に規定する「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことができなくなるものではないから、入場税法の立法は、右国民の生存権を侵害するものでも、また、国家の生存権の実現に努力すべき責務に違反するものでもない。よつて、原告の右主張も理由がない。
(八) 原告の主張第三項(八)の主張について
原告は、原告の行なつている活動は、健康な音楽文化の育成という国家の義務をいわば代行しているものであり、国家はこれを援助すべきであるのに、かえつてこれに対して入場税を課することは憲法第二五条に違反すると主張する。
しかし、憲法第二五条は、国に文化国家建設の要請として音楽文化一般の向上育成をはかる義務を課しているものではなく、さらに成立に争いない乙第三一号証によれば、原告は、従前から現実に入場税を納付してきていることが認められ、入場税を賦課されたとしても従前通り例会等の活動を行いうることは明らかであるから、原告に対する入場税の課税処分は、憲法第二五条第一項に規定する国民の生存権を犯すものでないことは勿論、国の生存権確保のための措置をなすべき義務にも違反せず、原告の右主張も採用できない。
三、次に、本件第三、第四課税処分の課税要件の存否について判断する。
前掲各証拠によれば、別紙六掲記のとおり、原告は、各催物の上演日欄の日に借り受けた上演場所欄の興行場等において各当該催物の種類および内容欄の音楽ないし舞踊を上演し、入場人員欄の多数人に見せ、又は聞かせ、その入場の対価として一人一回一五〇円以上(但し入場税額に相当する金額を含む。)を領収したものと認められ、右認定を覆すにたる証拠はない。
したがつて、被告の原告に対する本件第三、第四課税処分は、右認定した範囲内の課税標準及びそれに基づき適正な税率を適用して得られる税額を決定し且つ適正な税率による入場税無申告加算税を賦課したものであるから、適法である。
よつて、原告の被告に対する本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 石橋三二 藤原康志 猪瀬俊雄)
(別紙 一~六省略)